悲しいお知らせをお伝え致します
本日は、悲しいお知らせをお伝えしなければなりません。
世の中には「どうしてもしなければならないこと」や「せざるを得ないこと」がありますが、それらと「実際にすること」との間には大きな隔たりがあるというのもまた事実です。
時として人は、それを「苦渋の決断」と表現するのかもしれません。
行いを正すチャンスは数多くあったはずです。悔い改める機会は枚挙に暇(いとま)が無いほどあっ たはずでした。
私はこのブログを通じ、理由と根拠を示しながら何十回となく指摘し、改心を促してきましたが、それは無視され、逆にアクト叩き、屋和田潰しの材料になりました。
目の前にいくつもの道があったにもかかわらず、正しい道に進むのを拒否してきたのは本人の意志です。
引き返せるのにしなかったのも本人の意志であり、子供ではないわけですから、全ての結果責任は本人自らが負わなければならないのも当然のことでしょう。
それがどんな想定外の結果であったとしても、それを引き受けるのが良識と常識を持ち合わせた大人というものです。
「命令に従っただけ…」と子供じみた言い訳をして責任回避しようとする人がいるかもしれません。しかし、それについても私はこのブログを通じて警鐘を鳴らしてきました。
悪いと分かっていながら、唯々諾々と命令に従うことは良識と常識を持ち合わせた大人のすることではなく、命令した人物と同様、その裁きを受けねばなりません。
自ら考え判断し、命令に背くこともできたのに、しなかったのは本人の意志であり、私はこのブログを通じて何度も翻意を促してきたのに、それを無視してきたのも本人の意志なのです。
不当にエントリーを拒否された出陳者がついに、クラブオーナー、クラブ代表者らに対し、東京地裁に損害賠償請求の訴えを起こしました。
世の中にトラブルは付き物ですが、「裁判に訴える」「裁判で訴えられる」という事態にまで発展するのはごく一部でしょう。
「訴えられる」からには「訴えられる」本人に「訴えられる」理由があったと言わざるを得ません。
今回に関して言えば、訴えを起こした出陳者側は決して背後から切りつけたわけではありません。
不当にエントリーを拒否された出陳者も、そして私も、「出陳拒否を撤回しないなら、裁判に訴えることになります」と何度も何度も伝えていました。
それを、「どうせ口だけだ」とか「訴えるはずがない」とか「裁判所が取り上げるわけがない」と高を括っていたのなら、あまりに浅はかですが、それもまた本人の意志により本人の責任において判断したことと言わざるを得ません。
訴えられることなく、解決を模索する道はいくつもあったのに、考えるだけの時間も十分にあったにもかかわらず、それを無駄にし、無為に日々過ごしてきたのは訴えられた側本人なのです。
人の忠告や警鐘に耳を貸さず、真剣に考えて来なかった結果なのですから、もはや同情の余地もありません。
長期間にわたり、悔い改め改心することを呼びかけてきたにもかかわらず、このような事態になり、本当に残念でなりません。