「真実を明らかにしたい」と思わない不思議
「裁判を通じて真実を明らかにしたい」--。ニュースを見ていると、被害者が涙ながらにこう話す場面を目にすることがあります。
とは言え実際は、必ずしも「裁判所=正義」「判決=真実」ではないですし、裁判は「真実を追及する場」ではないのですが、それでも裁判を通じて様々な”真実”が明るみに出て来ることも確かです。
4月26日のショーではTICAアジア史上、前代未聞の”警察沙汰”が起きたにも拘わらず、アジアディレクターとセクレタリーに刑事、民事両面で元サイト管理者の”罪”や”責任”を追及する動きは見られません。
今のところ、一方の当事者からの発言しかないため、真相は分かりませんが、逆に不明な点が多いからこそ、私は警察に正式な被害届を出すとともに、裁判を通じて明らかにすべき点があれば明らかにする必要があると思うのです。
そもそも「会場内では全く暴力沙汰にはなっていません」と言い切っているわけですから、警官を呼ぶだけの正当な理由が見当たりません。
まさか、生徒が先生に告げ口するような感覚で、あるいは子供の喧嘩に親を引っ張り出して来るような感覚で、警察に通報したわけではないでしょう。
”警察沙汰”にするということはそこに刑事事件として立件できるだけの”暴力(暴行)”があったとみる方が自然です。
そして”警察沙汰”したからには、社会人としてそれなりの決意と覚悟があったはず…。
そうであるなら単なる”警察沙汰”で終わらせることなく、なぜこのような事が起きたのかの原因を究明し、誰がその”罪”と”罰”を負うべきかを示して頂きたいと思います。