いつになったら”戦う”のでしょうか?
「私は自分自身が正しいと信じるのであれば、間違った道を選択するいかなる人たちとも戦うでしょう」--。これは2013年9月30日に全メンバー宛に書かかれた「所信表明」の中の言葉です。
しかし、今のところ、”戦う”姿勢は微塵(みじん)も感じられません。”戦う”どころか、身を潜め、じっと時が過ぎるのを待っているかのようです。
”戦っていない”ということは、もしかすると、今のTICAアジアには私を含めて「間違った道を選択するいかなる人」もいないのかもしれません。それなら頷けます。
正しい指摘には謙虚に耳を傾け、行いを正す。反りが合わなくても嫌いでも議論は議論として理由と根拠を示し て意見を”戦わせる”…。
これは社会人としての当然のマナーであり、人として最低限の常識だと思いますが、みなさんはどう思われるでしょうか?
しかし、今のところ、”戦う”姿勢は微塵(みじん)も感じられません。”戦う”どころか、身を潜め、じっと時が過ぎるのを待っているかのようです。
”戦っていない”ということは、もしかすると、今のTICAアジアには私を含めて「間違った道を選択するいかなる人」もいないのかもしれません。それなら頷けます。
正しい指摘には謙虚に耳を傾け、行いを正す。反りが合わなくても嫌いでも議論は議論として理由と根拠を示し て意見を”戦わせる”…。
これは社会人としての当然のマナーであり、人として最低限の常識だと思いますが、みなさんはどう思われるでしょうか?