「王様の耳は猫の耳」を考える
TICAアジアの元リジョンサイト管理者が「王様の耳は猫の耳」に託した思い…。もちろんギリシャ神話、そしてイソップ童話に出て来る「ロバの耳」を「猫の耳」に替えたパロディですが、私たちはいま一度、その「教訓」を学ぶべきではないでしょうか。
そもそもみなさんは、なぜ王様の耳がロバの耳になったかご存知でしょうか?
主人公はミダス王。ある時、楽器演奏のコンテストがあり、ミダス王が支援する田園の神「バーン」と竪琴の神「アポロン」が戦いました。ジャッジは山の神「トモロス」でした。
「トモロス」は両者の演奏を聞き終わると、即座に「アポロン」に軍配を上げましたが、ひとりミダス王だけがこの審査結果に対する不満を口にしました。自分が贔屓にしている「バーン」の方が良かったと主張したのです。
これに「アポロン」は怒りました、「ミダス王の耳は堕落している」と糾弾。ミダス王の耳を「ロバの耳」に変えてしまったのです。
ここまでの経緯だけでも、キャットショーの世界とダブリますから、驚きです。
そのあとはみなさんがご存知の話と一緒だと思います。ミダス王はこの事実を隠そうと、ターバンや頭飾りをしますが、彼の理髪師だけはこの秘密を知りました。理髪師は決して口外しないように言われますが、秘密を守れず、草原の地面に穴を掘って囁きました。
理髪師は穴をしっかり覆いましたが、しばらくすると葦がびっしりと草原を埋め尽くし、その葦が口々に「王様の耳はロバの耳」と言い出しのです。
ここまでの教訓としては「人の口に戸は立てられない」。つまり「いくら隠そうとしても悪事はばれる」となります。
しかし、話はこれで終わりではありません。葦の囁きを家来の何人もが聞いて、噂をし始めました。ミダス王は理髪師を処刑しようとしますが、最後は理髪師を赦すことにしました。ミダス王が反省し、改心したことを知り、「アポロン」はミダス王に再び普通の耳を与えたというのがこの寓話の全てです。
人によっては「秘密をばらすと殺される危険に遭う」ことを教訓にするようですが、やはり「秘密をばらされたからと言って逆恨みするのではなく、悔い改め赦すことの大切さ」を訴えていると解釈すべきではないかと思います。
サイト元管理者は「理髪師」を演じているのでしょうか…。
主人公はミダス王。ある時、楽器演奏のコンテストがあり、ミダス王が支援する田園の神「バーン」と竪琴の神「アポロン」が戦いました。ジャッジは山の神「トモロス」でした。
「トモロス」は両者の演奏を聞き終わると、即座に「アポロン」に軍配を上げましたが、ひとりミダス王だけがこの審査結果に対する不満を口にしました。自分が贔屓にしている「バーン」の方が良かったと主張したのです。
これに「アポロン」は怒りました、「ミダス王の耳は堕落している」と糾弾。ミダス王の耳を「ロバの耳」に変えてしまったのです。
ここまでの経緯だけでも、キャットショーの世界とダブリますから、驚きです。
そのあとはみなさんがご存知の話と一緒だと思います。ミダス王はこの事実を隠そうと、ターバンや頭飾りをしますが、彼の理髪師だけはこの秘密を知りました。理髪師は決して口外しないように言われますが、秘密を守れず、草原の地面に穴を掘って囁きました。
理髪師は穴をしっかり覆いましたが、しばらくすると葦がびっしりと草原を埋め尽くし、その葦が口々に「王様の耳はロバの耳」と言い出しのです。
ここまでの教訓としては「人の口に戸は立てられない」。つまり「いくら隠そうとしても悪事はばれる」となります。
しかし、話はこれで終わりではありません。葦の囁きを家来の何人もが聞いて、噂をし始めました。ミダス王は理髪師を処刑しようとしますが、最後は理髪師を赦すことにしました。ミダス王が反省し、改心したことを知り、「アポロン」はミダス王に再び普通の耳を与えたというのがこの寓話の全てです。
人によっては「秘密をばらすと殺される危険に遭う」ことを教訓にするようですが、やはり「秘密をばらされたからと言って逆恨みするのではなく、悔い改め赦すことの大切さ」を訴えていると解釈すべきではないかと思います。
サイト元管理者は「理髪師」を演じているのでしょうか…。