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2013年12月22日 (日)

ミスの指摘は嫌なもの、でも…

ミスを指摘されるのは誰にとっても嫌なものです。明らかなミスならまだしも、「あなたのミスではないでしょうか?」と、可能性として指摘された時はなおさらです。なぜなら、自分がミスを犯したかどうか自らルールを調べ、指摘してくれた人に答えねばならないからです。

しかし、私はここで人としての価値が決まるように思うのです。最低なのは「言いがかりをつけられた」と言って怒るだけで何もしない人。次に困るのがおざなりに調べて「私はミスはしていません」と開き直る人でしょう。

ミスの可能性を指摘された時、それをしっかり自分で調べあげた上で素直に謝ることはなかなか難しいですし、曖昧なままにして言い逃れできるならしてしまおうと思う気持ちも分からないではありません。

もし、ある人が言うように「住む世界が違う」と言うならば、私とは指摘された時の受け止め方が違うのでしょう。私はミスの可能性を指摘されたら、「感謝の気持ちで受け入れることができるようになれば、人としてもう一段成長できる」と考えるからです。

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