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2013年12月 5日 (木)

「露地庭の石」のようであって欲しい

ある人が「露地庭の石」について語った逸話が今も私の記憶に残っています。

確か茶道の名人だったと思います。この人物がそれは見事な庭石を手に入れ、それを自分の茶室の庭の入口付近に置きました。

ある時、客が訪れ、こう褒めました。「実に立派で素晴らしい庭石ですね」。 これを聞いた茶道の名人は表情を和ませることなく、客が帰るとすぐに、その庭石を別の場所に移してしまったというのです。

なぜだったのでしょう。彼はその理由をこう明かしたといいます。「庭石は強い個性でひと目を引き付けるものであってはならない。そこを通る客が気付かぬとも、客の心に落ち着きと安心を与えるものでなければならない」と…。

ディレクターの真の意味での存在感はある意味、この「庭石」のようなものであるべきではないかと思うのです。「強いリーダーシップ」の名のもとに権力を振りかざし、何でも牛耳ろうとし、気に入らないメンバーを排除するようなディレクターは必要ないという理由はここにあります。みなさんはどう思われるでしょうか。

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