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2013年11月

2013年11月30日 (土)

猫界の”小早川秀秋”と”大谷吉継”

今回のディレクター選挙は普段のお付き合いでは窺い知ることのできない”人の本性”を垣間見させてくれました。関ヶ原の合戦に例えるなら、誰が「小早川秀秋」で、誰が「大谷吉継」かがはっきり分かって、それはそれで良かったと思っています。

関ヶ原の戦いの後、小早川家では家老が出奔したり斬殺されるなどの事件が相次ぎ、秀秋自身も関ヶ原の戦いからわずか2年後に亡くなりました。その後、小早川家は無嗣断絶により改易されたのは歴史が示す通りです。

だからと言うわけではありませんが、私は「小早川秀秋」のようになりたいとは思いません。何度、生まれ変わったとしても彼のようになることはないでしょう。「大谷吉継」でありたいと思っています。

長い選挙戦でしたから、いろいろな方がいました。応援するふりをして都合が悪くなると逃げる人、味方のふりだけで実は勝ち馬探しで右往左往する人、騒ぎ起こすのが楽しくて平気で嘘を吹聴して回る人、猫界での自分の居場所探しで汲々とする人、親身なふりをして何もしない人、芯があるようでない人、想像以上に恨みがましい人などなど。

一方で、TICAアジアの将来を真剣に考えている人、政策を一緒に考えてくれる人、自分の信念を貫ける人、いつも変わらぬ態度でアドバイスをしてくれる人、重要な場面で有難い情報やアイデアを授けてくれる人、打ち解けると気さくで親身に応援してくれる人、正義感を共有できる人、個人的な恩義より大義を優先できる人などなど。

「人の本性は修羅場で表れる」とか「人は常に試されている」とか言いますが、実によく言い当てていると思います。今回の選挙戦は”見せかけの同志”と”本当の同志”を篩(ふるい)にかける役割も果たしてくれました。

2013年11月29日 (金)

アームストロング船長の言葉

私は「継続力」もディレクターの重要な資質のひとつだと思っています。曖昧模糊とした理想を語っていれば自然に実現するわけではありません。”花火”をふたつみっつ打ち上げただけで終わりでは何事も成し遂げられません。もちろん数多く打ち上げればいいと言っているわけではありません。

具体策を打ち出し続けられるか? 困難が立ちはだかっても努力し続けられるか? ディベート(討論)において根拠と理由を示し、反論し続けられるか? 圧力や嫌がらせを跳ね返し続けられるか? 自己保身や責任逃れしたい場面でも踏み留まり続けられるか? ディレクターは「継続力」を問われる場面にいくつも直面します。

立候補制度はまさにそのことを候補者に課し、かつ試しました。説明もなく唐突に立候補を降りることなく、誰が最後までTICAアジアを良くするためのプロジェクトを発案し続けたか、情報発信し続けたか、論理能力やディベートスキルを証明し続けたかは、私の「公約」と「ブログ」を通じてしっかりと見届けて頂けたと思っています。

私は権力や地位に固執するつもりは微塵もありません。TICAアジアが最大の危機に直面している時、一生懸命に力を尽くして、それでもメンバーの支持が得られないとしたら、それはそれで仕方ないと思っています。その期に及んで自己保身や責任逃れなどもっての外であり、毅然たる態度で出処進退を決断したいと思っています。

「これは一人の人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては偉大な飛躍である」。知らない方はいないと思いますが、これは科学的進歩を重ね続けた人類がアポロ11号で初の月面着陸に成功したアームストロング船長の言葉です。彼自身も類い希なる「継続力」で努力し続け、アポロの船長になりました。

今、アジアリジョンも歴史的な瞬間を迎えようとしています。もし私が当選すれば「これは一人のメンバーにとっては小さな一歩だが、アジアリジョン全体にとっては偉大な飛躍である」と胸を張りたいと思っています。

そして「この小さな一歩」を実現し、「偉大な飛躍」を成し遂げる原動力となるのはみなさんの「一票」なのです。小さな一票の積み重ねが必ずや「偉大な飛躍」につながると信じています。

2013年11月28日 (木)

大切なのは「義理」か「大義」か?

「あのジャッジには”義理”があるから…」「あの人には”恩義”があるから…」。こうした理由で投票するメンバーの方が少なからずいるようです。

一見、義理人情に厚く、正しい投票行動のように見えますが、本当にそうでしょうか。私は「?」です。なぜなら誰かに対する個人的な「義理」や「恩義」と、韓国や台湾、マレーシアを含めTICAアジア全体を良くするために何をすべきかという「大義」は全く別だからです。

「大義」に基づいて投票することは、決して「義理」を欠くことにはなりません。個人の問題と全体の問題は全く違うのですから…。「義理」や「恩義」は選挙の投票で返すものではありません。それは健全な選挙とは何かを考えて頂ければ分かると思います。

「好き」「嫌い」や、仲が「いい」「悪い」といった個人的な感情や付き合いも同様です。人気投票ではないのですから、こうした基準で投票してはならないはずです。「アジア全体を考える視野の広さを持つか?」「所信表明を裏付ける具体策を出したか?」「どちらのジャッジの理念や具体策がアジアを健全に再生するか」で選ぶべきであり、この区別をしっかりできるかどうかがメンバーひとりひとりに問われているのです。

今回の選挙戦では「屋和田さんの言うことは正しいことばかり。応援してますから頑張って下さい」といった連絡が日ごとに増え、手ごたえを感じています。が、しかし…。みなさん一様に、続けて必ず付け加える言葉がありました。「でも私が屋和田さんを応援していることは決して誰にも言わないで下さい」。

選挙戦が浮き彫りにした悲しい現実。一体、誰がこんな風通しの悪く、睨みを利かせる誰かにビクビクせねばならないリジョンにしてしまったのでしょうか。自由にモノが言えることは活力の源泉です。自由にモノが言えない重苦しい組織は必ずや衰退します。私はこの閉塞状況に風穴を開け、いつも本音で話し合える風通しのいいリジョンを作りたいのです。

これまでのディレクターは何よりもまず、「なぜ、こうなるまで放っておいたのか」という疑問に明確に答え、総括する必要があるはずです。そのうえで、新たなディレクターのもと、メンバーの「声なき声」に真摯に耳を傾け、無為無策の状況を打破していかねばなりません。

メンバーひとりひとりが、TICAアジアをどう変えていくべきかという「大義」に基づいて投票してこそ、アジアリジョンは再生し、健全に発展できます。メンバーみなさんの「自らの良心」に問うた末の「大義」ある1票がアジアリジョンを救うのです。

2013年11月27日 (水)

「人生は2度目のチャンスが全て」

今年も米国では感謝祭のシーズンを迎えました。ご存知かどうか分かりませんが、米国では感謝祭の前日、大統領が2羽の七面鳥に”恩赦”を与える行事が毎年行われ、今年も27日、オバマ大統領から恩赦が与えられました。

米国で感謝祭と言えば、家族や親族が集まり、詰め物をした七面鳥の丸焼きなどの食事を一緒に楽しむ日。なぜ七面鳥に”恩赦”かと言うと、入植者たちがアメリカ先住民の助けを借りて生き延びることができたことを神に感謝したのが起源とされています。

このイベントで記憶に残るのが、2期目の再選を果たしたばかりのオバマ大統領が”恩赦”に臨んだ去年の記者会見。本当に七面鳥と会話したかどうかは定かではありませんが、オバマ大統領は記者団に向かって「彼らは『人生は2度目のチャンスが全てだ』と言っていたよ。この11月、私にはそのことがこの上なく良く分かる」と冗談交じりに話しました。

一方、海のこちらのTICAアジアでは、あるジャッジが私を名指しで批判した上に、”罪人”呼ばわりし「罪は消えないことを自覚すべき」と言い切りました。虐めや嫌がらせなど自分が犯した数々の”罪”は容易に消えても、人に負わせた”罪”は決して消えないと言うことのようです。しかし、私はこうした考えに与(くみ)しません。オバマ大統領の言葉の方に共感と親近感を覚えます。

”罪”と断罪するようなことはもとより、たとえ小さな躓(つまづ)きであっても、人は転べば立ち上がり、失敗すればやり直し、挫折すれば再起し、間違えれば矯正し、再出発することができるはずです。問題は困難に直面した時に、どうやってその状況に立ち向かい、再び歩み出すのかなのだと思っています。

「ティーパーティー」はお好きですか?

「ティーパーティー」と言っても、優雅なお茶会のことではありません。一大旋風を巻き起こした米国での保守系市民運動のことです。米債務問題では「デフォルト(債務不履行)も辞さず」の強硬姿勢で世界経済を揺るがせましたが、ここに来て米国民は背を向け始めたようです。

私もある意味、こうした「保守」「強硬」派には反対です。アジアリジョンにあってはやはり「保守」より「変化」を求めるべき時期に来ていると思いますし、何よりも「無為」「無策」「無責任」から脱し、理詰めで次々とスピーディに「決めることができる」リジョン運営をしなければならないと思うからです。

従来の慣行や体質を温存したままの「保守」では未来が拓けませんし、「強いリーダーシップ」による強硬姿勢ではメンバーが今以上に委縮して、自由で伸びやかなリジョンは実現できません。漠然とした理想を口にするだけで実現するほど現実は甘くありませんし、具体的な政策の裏付けがなくては結局、何もしないまま再び3年が過ぎ去ってしまいます。

上に立つ者は「自ら泥をかぶってこそ」と言ってきましたが、同時に「自分の手柄も人の手柄」とする潔さがなければなりません。ところが、「強いリーダーシップ」が幅を利かせる猫界は真逆。「他人に泥をかぶせてこそ」がまかり通り、「人の手柄も自分の手柄」が当然のように行われています。

これではメンバーの間に不満が鬱積し、嫌気が差して気持ちが離れて行くのも当然です。今こそメンバーの声なき声に寄り添うとともに、メンバーを正しい方向に導けるディレクターが必要なのです。私はアジアリジョンを「強いリーダーシップ」によってではなく、「正しさ」と「共感」で結び付く組織にしたいと考えています。

米国ではニュージャージー知事選、ニューヨーク市長選で「保守」「強硬」派の共和党候補が相次いで敗れました。アジアリジョンにおいても、時代の要請はしっかりとした政策を打ち出して再生への”処方箋”を書くことができる人物が求められています。理論と実務能力、ディベート(討論)スキルを併せ持った「改革」「穏健」派が勝利することだと信じます。

2013年11月26日 (火)

今を逃したら出来ないこと

「屋和田の公約なんて誰だってできる。だから屋和田に投票する必要はない」。私に対してこういった批判をする人がいるそうです。でも果たしてそうでしょうか?

確かに私が掲げた公約の中には、誰がディレクターになっても、やる気さえあればできる項目もあるでしょう。しかし、私でなければ出来ない、いや、正確に言えば私でなければ決してやろうとしない項目も多く含まれています。

「リジョンショー収支の開示」「リジョン会計の年次報告」「ディレクターに対する支持率調査や職務チェック」など、私以外の誰が導入できると言うのでしょうか。もし次期ディレクターを目指すジャッジの中に「私もやります!」という人がいるなら、手を上げて頂きたいと思います。今を逃したら出来ないこと。今回はこれまでとは全く違う”異次元”のディレクター選挙であることを理解して頂きたいと思います。

とは言え、私は公約を一方的に押し付けようとは思っていません。私の意見や考えに違和感があったり、異論のある方もいらっしゃるかもしれません。抜け落ちている視点もあるでしょう。だからこそ「侃々諤々(かんかんがくがく)」大歓迎! 「喧々諤々(けんけんがくがく)」も大歓迎! 「正しいこと」は誰かの頭の中にある独善的なものではなく、みんなが自由闊達に議論し、意見交換する中からこそ、生まれるのだと思っています。

「言うことを聞かなかった」とか「意に添わなかった」とか「歯向かった」とか「逆らった」とか「盾突いた」とか。いつも誰かの目、誰かの意向を気にしてる。そんな事とは全く無縁な世界。そんなアジアリジョンにしたいのです。

私情や怨恨を差し挟まない開かれた対話の場。ディレクターとメンバーとの気さくな意見交換。だからこそ私は「強いリーダーシップ」による”一方通行”のリジョン運営ではなく、”双方向”にこだわるのです。私にしか出来ないこと。今を逃したら出来ないこと。私の公約にはそれらがたくさん盛り込まれているはずです。

2013年11月25日 (月)

「強きを助け弱きを挫く」悲しき現実

「弱きを助け強きを挫く」が本来の姿なのに、猫界は「強きを助け弱きを挫く」になりがちというのはとても残念なことです。もちろんごく一部の人ですが、こうした一部の人が「強いリーダーシップ」を発揮しようものなら、「強き」はますます強くなり、「弱き」はますます弱くなるという悪循環に陥ります。ショーを楽しんでいるのは「強き」人々とその恩恵に預かる取り巻きだけと言うお定まりの構図です。

せっかくこれから楽しいショーが始まるという矢先に、出陳者が耳を覆いたくなるようなクラブやジャッジの非難、批判を朝から聞かされては、せっかくの気分も雰囲気も台無しです。ディレクター選挙とショーはしっかり区別すべきものであり、ショー会場での所信表明や演説の内容はそうした”TPO”を踏まえたものであるべきではないでしょうか。

もうひとつ、気掛かりなのは「強きを助け弱きを挫く」風潮のなかで、「知らぬふり」「見て見ぬふり」「事なかれ主義」「長いものに巻かれていればいい」といった感覚がはびこり、組織全体が思考停止状態に陥りつつあるという現状です。”ゆでガエル”という言葉がありますが、TICAアジアは「まぁいいや」と言って狎れ合っているうちに”浄化”する力を失い始め、まさにゆであがってしまおうかという危機的状況にあるのではないでしょうか。

誰かがどこかでこの悪循環を断たなければなりません。それにはどんな嫌がらせにも圧力にも屈せず、毅然として正論を吐き続けられるディレクターが必要なのです。TICAアジアが文字通り”ゆでガエル”になってしまわないためにも、「強きを助け弱きを挫く」悲しき現実から思い切って飛び出なければなりません。

私はメンバー全員が猫のことだけではなく、人としてもっと豊かに、人としてもっと幸せに、人としてもっと啓発されるような組織であって欲しいと願っています。猫とともに純粋にショーの時間を楽しむだけでなく、私たち自身の人生を豊かにするためのTICAアジアリジョンにしたいというのが私の希望なのです。

2013年11月24日 (日)

しあわせは♪歩いてこない♪ だからこそ…

「屋和田さんならアジアリジョンを変えてくれる」。こんな期待を口にされる方が多くなっていることは嬉しい限りです。でもちょっと待って下さい。私はビジョンを示し、仕組みやシステムを整えますが、それを生かすも殺すもメンバーの方々次第なのです。

一方、海の向こうでは「Yes! We can!」をキャッチフレーズに当選し、2期目に入った米オバマ政権が迷走しています。米債務問題はみなさんもご存知の通り。オバマ大統領が掲げた「Change(変革)」も急速にかすんでいるように見えます。それでも彼がこの秋に語った言葉に強い共感を覚えました。「変革はワシントンではなく、米国民がもたらす」。

私はアジアリジョンの変革も同じだと思っています。公約に息吹をもたらすのはメンバーの方々であり、「変革はメンバーひとりひとりがもたらす」のだと思っています。

「しあわせは♪歩いてこない♪ だから歩いてゆくんだね♪」という歌にあるように、メンバーひとりひとりが幸せに向かって歩いていこうとしなければ本当に良いリジョンは築けません。「しあわせの扉はせまい♪ だからしゃがんで通る♪」ことになりますが、それでも「歩みをとめずに夢見よう♪ 千里の道も一歩から♪ はじまることを信じよう♪」の気持ちで頑張って行ければ、必ずや輝く未来に辿り着けるはずです。

2013年11月23日 (土)

アジアの未来はあなたの心の内にある

かつてあるメンバーの会話を近くで聞いていて、心の底からがっかりしたことがあります。「あの人がジャッジになるのは反対だ」と言う人に、別の人が「なんで?」と聞きました。すると「だってあの人は私の猫をファイナルに入れてくれないと思うから…」と答えていました。ジャッジになるに相応しい資質と能力があるかどうかは「どうでもいい」と言うのです。

公平とか、公正とか、正義とか、そんなことはどうでもいい。全ては自分の猫にいい成績を付けてくれるかどうか。入るクラブを選ぶのも「あのクラブに入ればクラブ員の猫にはいい成績を付けてくれるから」。ディレクターを選ぶのも「自分のクラブ、自分のショー、自分の猫に有利になるから」。もちろん、中には「それで何が悪い!」と開き直る人や「これまでがそうだったように、これからも変わるはずはない」とあきらめている人がいるかもしれません。

しかし、私は違います。開き直ることも、あきらめるつもりもありません。こうした”見返り”や”利益誘導”がメンバーの判断基準である限り、アジアリジョンに未来はありません。その意味で今回のディレクター選挙は、あなた自身が自らの心の内を問う選挙でもあると思っています。

2013年11月21日 (木)

立場を変えて眺めると何が見えますか?

もし、韓国や台湾やマレーシアで生まれ育ち、それぞれの国・地域で猫の世界に入っていたら…。こう考えたことはないでしょうか? そして韓国、台湾、マレーシアのTICAメンバーの立場で日本の猫界の出来事を眺めてみたら…。

立場を変えて眺めたときに、みなさんの目には今回のディレクター選挙がどう映るでしょうか? もちろん個別に見れば、友好関係を築き、各国・地域のブリーダーに協力している方々もたくさんいらっしゃることと思います。しかしアジアリジョン全体の問題として考えるとき、「もっと努力できたのではなかったか」「なぜリジョンとしてもっと支援・協力してこられなかったのか」と思うのは私だけでしょうか? 誰かが提案しているように、アジアリジョンから日本を切り離せば、それで済む話なのでしょうか?

グローバル化が急速に進むなかで、猫界だけは逆行しているように見えます。ユニクロ、楽天、日産自動車などで「英語の社内公用語化」が進むなか、いつまでも猫界だけ、英語という「語学の”壁”」を都合のいい”言い訳”にして、何もしなくていいのでしょうか?

すべきことが山積するなかで、「何もしない」「何も変わらない」という選択肢は、日本以外のアジアのTICAメンバーに対する裏切りであり、バカにしていると受け取られても仕方ありません。この失われた9年を振り返れば、予備校講師の言葉ではありませんが、「いつやるの!? 今でしょ!」と言うことに尽きます。

2013年11月20日 (水)

あってはならない”思い込み”

「自分が出来ないことは、他人も出来ないと思い込む」。誰にでもありがちな”思い込み”とは言え、ディレクター選挙戦に限って言えば、あってはならない思い込みと言わざるを得ません。

なぜなら、いまだに私に対するネガティブ・キャンペーンが「屋和田はやけくそになって出来もしないことをほざいているだけだ」などと言うのですから…。確かに国政選挙における政党間の政策論争では「財源の裏付けはあるのか?」といった追及はありますが、今回のディレクター選挙にあっては「なぜ出来ないと言えるのか」の「根拠」も「理由」も示さない一方的な批判だけに困ったものです。

ただ、ある意味、仕方ないかもしれません。なぜなら、このネガティブ・キャンペーンを張っているのは元ディレクターや現ディレクター陣営なのです。この3年間、そしてその前の6年間、しようと思わなかったのか、出来なかったのか分かりませんが、いずれにしても私が公約で掲げたことを何ひとつして来なかったのは厳然たる事実。「他の人も出来ない」と思い込んでも不思議ではありません。

とは言え、「自分が出来ないことは、他人も出来ない」との思い込みで、せっかくの数々のプロジェクトを葬り去ってしまっていいものなのでしょうか? 逆にせめて一人ぐらい、「屋和田の公約なんか私でも全て完璧にできる」と名乗りをあげるジャッジが現れてほしいものですが、一向に出て来ない以上、メンバーひとりひとりがTICAアジアの将来に対する責任を持って1票を投じなければなりません。

2013年11月17日 (日)

「牛耳る」ではなく「尽くす」精神

「藩」は人民を私有するものではなく、「民の父母」として尽くす使命がある。第9代米沢藩主だった上杉鷹山はこう考えていたと言われています。アジアリジョンの現状に当てはめて考えるとき、私もこうした考えに共感します。

クラブ代表は「強さ」を誇示してクラブ員を私有したり牛耳ったりするのではなく、「クラブ員に尽くす使命」があり、ディレクターとリジョンスタッフは「強いリーダーシップ」の名のもとにショーやクラブを牛耳るのではなく、「クラブや出陳者に尽くす使命」があると考えるからです。

もちろんメンバーがディレクターやリジョンスタッフに頼りきりでは健全性が損なわれます。「互助」「扶助」「自助」の「三助」の精神があれば、「強いリーダーシップ」などなくても躍動感あふれるリジョンは実現できるのです。

2013年11月16日 (土)

「為さない」のだから「成らない」

「日本で最も尊敬する政治家は誰か?」と聞かれたジョン・F・ケネディ大統領が、「上杉鷹山」と答えた話は有名です。そして上杉鷹山と言えば、「為せば成る 為さねば成らぬ何事も 成らぬは人の為さぬなりけり」という和歌が思い浮かびます。

アジアリジョンはまさに「為せば成る」にもかかわらず、「成らぬ」ことばかりでした。しかしこの3年を振り返れば、何も「為さぬ」だったわけですから、「成らない」のは当然のことでした。そして全ては「成らぬは人の為さぬなりけり」だったと言えるのではないでしょうか?

それにもかかわらず、今なお「何も”為さぬ”ディレクターの方がいい」と言って票集めに走るジャッジがいるのですから理解に苦しみます。なぜTICA全体の将来を考えてディレクターを選べないのでしょうか…。

何も”為そうとしない”ディレクターでは今後も何も進まず、TICAアジアの地盤沈下はますます激しくなるでしょう。TICAアジアにとってそれで本当にいいのでしょうか? それがTICAを愛する投票行動なのでしょうか? 私の考えは真逆です。「為せば成る」の精神で物事に当たれるディレクターを選ばなければならないと思っています。

2013年11月15日 (金)

ケネディ家の「家訓」に思うこと…

故ジョン・F・ケネディ氏の長女、キャロライン・ケネディ氏が駐日大使として15日、着任しました。ケネディ家の家訓と言えば「Don't expect life to be fair(人生に公平であることを期待するな)」が有名ですが、私は「Of those to whom much is given, much is required(多くを与えられた人たちは、多くを期待される)」の方に意義を見出します。

アジアリジョンを考えるとき、日本は「多くを与えられた」国であり、その分、その他のアジア地域のTICAメンバーから「多くを期待されている」のではないでしょうか。ですから、日本のTICAメンバーはその期待に応える責務があると思うのです。

日本国内も同じです。英語に堪能な方をはじめ、様々な特技やスキルに秀でたメンバーが数多くいることに気付きます。確かに趣味でかかわっている以上、みなさん「本業」があるわけで、余裕はないかもしれません。それでも「その優れた能力をもう少しアジアリジョン全体のために使って頂ければ…」と思うことがあるのも事実です。

「多くを与えられた人たち」が「多くを期待される」ことを快く受け入れてリジョン運営に参加し、アジアリジョン発展のために協力すれば、より充実したリジョンになることは間違いありません。

2013年11月14日 (木)

ボードの”威”を借りて話す人

「ボードメンバーが『○○○』と言っている」。こんな発言を聞いたことのあるメンバーは多いと思いますが、果たして事実なのでしょうか?

例えば、現ディレクターに対してはボードメンバーから「彼女がいては議論が進まない」とか「ディレクターに相応しくない」とか「次もさせてはならない」とか、様々な発言が出ているとの話を私も人づてに聞きました。しかし私は信用していません。なぜなら、ディレクターは投票によって選ばれたアジアの代表であり、その代表を貶(けな)したり否定したりすることは、アジアメンバー全員の民意を貶し、否定することだからです。ボードメンバーがそんなことも分からずに公言するとは思えないのです。

私はボードの”威を借る”形で悪評を流す人がいるのだと思っています。私に対するネガティブ・キャンペーンも同じです。「屋和田が当選してもボードは彼女の発言に耳を貸さない」とか「当選しても無視されるだろう」と吹聴している人もいるそうです。しかし、私が当選した場合、私の発言はアジアリジョンの代表者としての発言であり、それを無視することはアジアメンバーの総意を無視し、選挙システムを否定することに他なりません。

「屋和田にディレクターを任せることはできない」と公言している日本人ジャッジもいますが、それが真実なら「なぜTICA本部はディレクターを任せることができない人物の立候補を取り消さないのか?」という根本的な問いに答える必要があります。誰かの”威”を借りて話す人々の言葉は疑ってかからなければなりませんし、なぜ誰かの”威”を借りて話さなければならないのかを考えなければ、判断を誤ります。

 

2013年11月13日 (水)

取ったようで取っていない取り方

一見、取ったようで取っていない「責任の取り方」が往々にしてあります。アジアリジョンで言えば、現ディレクターの立候補辞退です。いつのまにかTICA本部の立候補候補リストから消えていました。辞退理由について本人から公式表明がないので真相は分かりませんが、「アジアリジョンの混乱の責任を取った」とも一部では言われています。

しかし、これが正しい「責任の取り方」と納得できるでしょうか? 私はできません。なぜなら、次期ディレクター選挙に出るか出ないかは何かに対する責任とは全く無関係だからです。選挙はメンバーの信を問うものであり、誰も「信を問う」権利を奪えないはずです。もちろん立候補を辞退した方が、逆に「Write in」で当選しやすいという深謀遠慮があって、渡りに船とばかりに「責任論」に飛びついて、自ら進んで降りたというのなら話は別です。

私は「すぐに辞任すべきだった」と言っているのではありません。責任の取り方はいろいろあっていいと思っています。私が強調したいのはどういう責任の取り方をするにせよ、筋の通し方があるということなのです。ディレクターとしての資質を考えるとき、私は「責任の取り方」とともに、筋を通せる人物かどうかも見ます。

責任がないと思うなら、敢えて「責任を取らない」のも選択肢のひとつでしょう。ただし、その場合でもしっかり筋を通し、説明責任を果たし、メンバーの納得を得なければならないことは言うまでもありません。

2013年11月12日 (火)

「消去法」でもいいですが…

「消去法で考えれば現ディレクターに入れるしかないでしょう」。こう説いているジャッジがいるそうです。誤解なきように言っておきますが、私は「消去法」という考え方自体を否定しているわけではありません。

ただ、今回のディレクター選挙においてこう説かれても「何をどう消去法で考えれば現ディレクターが残るのか理解できない」のではないでしょうか。実際、そう言われたメンバーも困惑気味に「理解に苦しむ」と漏らしていました。

ただ探っていくと、どうもその真意は「どうせ変わらないなら、何もしないディレクターの方がいい」「どうせ何も変わらないなら、言いなりになるディレクターの方がいい」--と言うことのようです。確かにそういう視点で消去法をするなら、結論がそうなってしまうのも頷けます。

とは言え、一昨日も指摘しましたが、この消去法も「公約」や「政策」が置き去りにされてしまっているのです。「公約」や「政策」を比較した上での消去法なら理解できますが、そうでない消去法は「百害あって一利なし」だと思っています。

2013年11月10日 (日)

このままでは「元も子もない」?

「反○○陣営の票が割れて○○が当選したら元も子もない。ここは立候補を降りて△△さんの応援に回ってもらえないだろうか…」。ある方からこんな話が持ち込まれました。

理由になっているようでなっていない。大義があるようで全くない。理念や政策を置き去りにしてのこうした票の数合わせの議論は残念でなりません。

一方で、いまだに「私は立候補を降りたくて降りたわけではない。無理やり降ろされただけで、やる気はある」と、”同情票”に賭けているジャッジもいるとか…。本当に涙ながらに訴えかけるそうですから、事実なら役者顔負けの演技力です。かつてのTVドラマではありませんが、本心は「同情するなら”票”をくれ」と言ったところなのかもしれません。

でも結局は”同じ穴の狢”。「TICAアジアがどうあるべきか」「TICAアジアをどうすべきか」といった理念や政策を置き去りにした票集めの点では全く変わらないからです。3年前、6年前、9年前の選挙と同じことの繰り返しでは、結局、何も変わらないことだけは確かです。

2013年11月 9日 (土)

「影響力」と「支配力」は似て非なる

「世界で最も影響力がある人物」は誰か? 米フォーブス誌によると、今年はロシアのプーチン大統領が首位になりました。彼は昨年の3位から躍進したのですが、その理由は私にとって抵抗感のあるものでした。「ロシアと国際舞台での支配力を強固にした」というものだったからです。

TICAアジアにおけるディレクターの「影響力」はどうでしょう。「自己保身」と「責任逃れ」に終始していては影響力を発揮するどころの話ではありませんが、かと言って私は「支配力」が必要だとも思いません。影響力は「強いリーダーシップ」による支配を通じて発揮するものではなく、「責任を持つ」という意味において発揮されるものだと考えるからです。

私はメンバーの「同意」と「理解」「納得」を得ながら促し、誘(いざな)うことで影響力を発揮したいと考えています。それが私の責任あるリジョン運営でもあるのです。 

2013年11月 8日 (金)

まるで「ブラック企業」ならぬ…

アクトは”駆け込み寺”ではないのですが、「このクラブではあんなことがあった」「あのクラブではこんなことがあった」と、実にいろいろな話が持ち込まれて来るようになりました。

「○○クラブは二重帳簿を付けている」とか、「知らない間に○○クラブの会員にされていた」とか、「血統書の偽造を勧められた」とか、「○○クラブはエントリークラークやマスタークラークに”パワハラ”顔負けの無理難題を押し付けてくる」とか。

世間では「ブラック企業」が話題になり、まるでそれに劣らぬ感じですが、こうしたクラブにあっては、せっかく会員の名前と顔を覚えたと思っても1年余りで辞めてしまったというケースが多いのも頷けます。もちろん、ごく一部のクラブにすぎませんが…。

表面化しなければ何をしてもいいのでしょうか? 証拠や証言がなければ何をしてもいいのでしょうか? 泣き寝入りさせれば何をしてもいいのでしょうか? プロテストが「No Action」になれば何をしてもいいのでしょうか? 話が持ち込まれるたびに、様々な思いや疑問が湧いてくるのです。

2013年11月 6日 (水)

求む!猫界の”ジャッジX”

ある友だちが「面白いTVドラマがある」と連絡をくれました。猫の話とは関係ない話題かと思いきや、そうではありませんでした。「崩れかけたクラブにしがみつく者もいる。権力を思うままに操るジャッジ。その権力に怯えるメンバー。合い言葉は『御意(ぎょい)』。逆らう者に明日はない世界」――。「どう?面白くない!?」

彼女がアレンジして語ったのは「Doctor X 外科医・大門未知子」(テレ朝、毎週木曜夜9時)のイントロダクション部分です。米倉涼子演じる外科医は「群れを嫌い、権威を嫌い、束縛を嫌う。専門医のライセンスと叩き上げのスキルだけが彼女の武器だ」そうですが、私が思い描いたのは”ジャッジX”についてでした。

猫界においてクラブに依存しない”フリーランス”のジャッジX…。「頼れるのはジャッジのライセンスと叩き上げのハンドリングスキル、スタンダードの知識だけ」と語る”ジャッジX”。もし居たら是非、リジョンショーに招きたいところです。恐らく彼女はこういうでしょう。不正など「いたしません!」(※ドラマを観るとこのオチが分かって頂けます)

2013年11月 5日 (火)

この騒動は一体、どこまで広がるのか…

ホテルのレストランにおける”虚偽表示”や”不適切表示”が全国規模になり、さらに百貨店やリゾート施設にまで大きな広がりをみせています。どうしてこんなことになったのか? 私は「どうせ客には違いなど分かるまい」といったホテルや百貨店、施設側の驕りがあったように思います。

猫界にあってはどうでしょうか。ここのところ、ショーデビュー間もないと思われる方々から匿名の連絡を頂くことが急に多くなりました。その大半が審査を巡る不満です。「疑惑が噂されるジャッジの目は泳いでいる」「迷ったふりと本当に迷っているかぐらい私にだって分かる」--などです。もちろん疑惑は疑惑ですから、出陳者の邪推にすぎないケースもあるでしょう。「根も葉もない噂」かもしれないし、「火のない所に煙は立たぬ」かもしれません。

しかし、「どうせ出陳者には違いなど分かるまい」「本当は何を考えているのか分かるまい」と考えるジャッジがいたとしたら…。なんと言っても出陳者はビギナーでさえ、全てお見通しなのですから。

2013年11月 4日 (月)

”ゼロ宣言”に向けて

福岡市長が4日、「どうぶつ愛護フェスティバルinふくおか」において、猫や犬の殺処分ゼロを目指す「殺処分ゼロへの誓い」を”宣誓”しました。同市では3022頭もいた2008年度の殺処分数が12年度には558頭にまで減ったそうです。全国規模で見ると、熊本市の殺処分数が12年度で21頭という例もあり、「ゼロ」の実現は夢ではありません。

TICAでも迷い猫の保護活動などに取り組んでいますが、アジアリジョンとしての取り組みはどうだったでしょうか? いつのことだったか、あるジャッジさんが「犬と猫と人間と」の映画チケットをショー会場で配っていたのが印象に残っています。この映画は第2弾「犬と猫と人間と2~動物たちの大震災」も制作され、公開されました。

私はショーで競うだけではないアジアリジョンであって欲しいと願っています。アジアリジョンのメンバーにはぜひこの2本を観て頂くとともに、「殺処分ゼロ」に向けリジョンとして何ができるかを一緒になって考えていきたいと思っています。

2013年11月 3日 (日)

決して許されざる「二面性」

「人は二面性を持つ」とよく言われます。私自身、自分ではそう思いませんが、人によっては私の中に何らかの二面性を見る人がいるかもしれません。

しかし私は二面性自体に問題があるとは思っていません。完全に一面的である人間などいないと思うからです。そして許容範囲の二面性と、決して許されざる二面性があると思っています。自分のクラブ員であるかないか、自分の言うことを聞くか聞かないかで徹底的に差別してきた人物が「メンバーを公平に扱う」とか「共に力を合わせる」と表明することなどは後者の最たる例です。

もちろん、これまでの過ちを素直に認め、真摯に悔い改めると言うのであれば許されるかもしれませんが、自分の”罪”は棚上げしておいて、「票」目当てにきれいごとを並べる二面性は無責任であり、決して許されるものでないと思っています。

2013年11月 1日 (金)

「長年の慣行」と諦めてしまうのですか?

日展で「書」の篆刻部門の審査を巡り、不正があったとの報道がありました。会派別に入選数を事前に調整しており、これは重鎮の「天の声」で決まっていたと言うのです。1日から始まった今年の展示では全5科で最高賞となる「内閣総理大臣賞」などの選考を中止する事態に発展したのはご存知の通りです。

クラブ員の猫や親しい有力ブリーダーの猫に「いい成績を付ける」「優先してファイナルに入れる」と囁かれてきた猫界とそっくりの構図。みなさんは「日展でさえそうなのだから仕方ない」と諦めますか。

日展の関係者は「長年の慣行だが、あってはならないこと。根が深い問題だ」と指摘したそうですが、猫界にもそのまま当てはまると思ってしまうのは私だけでしょうか?

次のディレクターにはこうした根の深い問題にメスを入れ、長年の悪い慣行を断ち切ることができる人物でなければならないと思っています。

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